過干渉の母親

運動会の二人三脚で、勝つことだけを目標にして私をずるずる引きずって無理やりゴールした母

私が仲良くしていた友達を「あの子嫌い」と言って遠回しに付き合うことをやめさせていた母

私が不登校中に書いていたブログを検索して見て、他人になりすまして好意的なコメントを書いていた母

私が中学生の時にトイレで鍵をかけると「鍵なんてかけてるのあんただけだよ!何してるの!?」と執拗に聞く母

私が一人部屋を持つことに対して否定的な母

私の仕事がうまくいかないと「私のいう通りにしないからだよ!」と叱りつける母

洋服を買おうとすると「似たようなの実家にあるよ?持ってこようか?」という母

私の日記を勝手に読む母

「いっつも私のいうこと聞かないよね」と言っていうことを聞かせようとする母

私の会社に電話で突撃して文句言う母

退職して、よくしてもらった人にもう会えないと泣いていると「そんなんで悲しむ必要ない」と感情までコントロールしてくる母

 

今まで、母が絶対、それに対して反抗するのは悪、母が言ったことは何でも正しいと思ってきたが、実家を出て約1年、20代後半になって初めて親に反抗する気持ちが出てきた

母は小さい頃虐待をされ愛着障害とパーソナリティ障害があると思われる(診断していないので確定はできないが、多分そう)

小さい頃から甲斐甲斐しく世話を焼き、私の宿題(作文や計算)まで全部やってくれた

殴られ叩かれは日常茶飯事、その後にいつも抱きしめ、愛情ゆえにそうしたのだと言うのが常だった

同級生の子が入院した時には、母が医療職に就いたきっかけが障害のある子がいるホスピスのようなところに幼い頃訪問したというのもあって、同級生の子にお見舞いの手紙と絵を書くようなかば強制に近い形でやらされた

でも私は母のように優しくはなかったので同級生の入院に対してなんとも思っていなかった

学校の先生はそれを見て、私が自分で行動してやったことだと思い込んでいたに違いない

私はそれが嫌だった

 

映画「ミザリー」と「カッコーの巣の上で」を観た時に、えもいわれぬ感情を抱いた

どちらも悪役は看護師で、良かれと思って悪を成している姿は同じく看護師である母そっくりだった

母から怒鳴られ、強制され身動きが取れない夢を何度も見た

私は一人の人として意思決定を尊重されたいだけだ

母を嫌いなわけではない

 

だけどそれがどうやっても伝わらない

そんなことを言ったら、「私なんかいない方がいいね」と自虐をしてかまってちゃんになるだけ

そうではなくて、一人の人として見てほしいだけなのに

母の所有物としてではなく